円山応挙
円山応挙の「眼鏡絵画帖」について
「円山応挙―革新者から巨匠へ」展にて展示される円山応挙の「眼鏡絵画帖」は、江戸時代に流行した「眼鏡絵(めがねえ)」と呼ばれるジャンルの作品を収めた画帖です。1帖からなり、江戸時代・18世紀に制作されました。本作品は株式会社千總ホールディングスが所蔵しており、内部には「三洲湊図」などの場面が描かれています。
制作の背景と意図
円山応挙は1733年に京都で生まれ、10代後半から狩野派に師事しました。彼の20代は「眼鏡絵」の制作に携わっていた時期にあたります。応挙は絵師を目指す傍ら、京都の玩具商「尾張屋中島勘兵衛」に勤めていました。この頃、オランダから輸入された「眼鏡絵」に興味を持ち、京都の風景を題材にした眼鏡絵を制作するようになったとされています。当時、中島勘兵衛が「覗きからくり箱」を取り扱うようになったことが、応挙が眼鏡絵を手がけるきっかけとなりました。眼鏡絵は、西洋の遠近画法を応用して描かれた風景画を、凸レンズをはめた「覗き眼鏡」を通して見ることで、立体感や奥行きが強調されて見えるというものです。応挙にとって眼鏡絵との出会いは、写実主義の日本画を確立し、「円山派」の祖となる画才を開花させる上で重要なものでした。彼の眼鏡絵は大変人気を博し、その本絵は泥絵具を用いた版画としても出版されました。
技法と素材
「眼鏡絵画帖」に収められた作品は、西洋画の遠近法を応用し、奥行きや立体感を強調して描かれていることが最大の特徴です。眼鏡絵は通常、45度傾けた鏡に映した絵をレンズを通して見るため、原画は絵や文字が左右反転して描かれています。 応挙は木版墨摺りに手で着色を施した眼鏡絵の他、肉筆画の眼鏡絵も制作しています。また、画面に小さな穴を開けて薄紙を貼り、裏から光を当てることで、遠近感を深く感じさせる工夫が凝らされた作品も存在します。蝋燭の火を当てることで、火がゆらめくように見えるといった、さらに趣向を凝らしたからくりを施した作品も見られます。 「三洲湊図」のような作品においても、極細の筆を用いた精緻な描写が、銅版画に匹敵するほどの緻密さを生み出していると考えられます。 応挙は写生を重視し、花などを正確に描くために専用の筆を制作させるなど、線質にも強いこだわりを持っていました。
作品の持つ意味
円山応挙の眼鏡絵は、当時の日本画壇において、西洋の遠近法を積極的に取り入れた革新的な作品として位置づけられます。伝統的な大和絵では遠近法が用いられていなかった時代に、奥行きのある空間表現を追求した応挙の姿勢は、その後の日本画に大きな影響を与えました。 「眼鏡絵画帖」は、単なる見世物としての役割を超え、応挙が空間表現への関心を開き、写生的態度を確立していく過程を示す重要な作品群であると言えます。 「三洲湊図」をはじめとする作品に描かれた風景は、当時の京都の景観資料としても価値を持つとされています。
評価と影響
円山応挙が築いた「円山派」は、明治以降の近代日本画に多大な影響を与えました。 応挙は写生を重視し、清新な現実感覚と伝統的な装飾性を融合させることで、平明で叙情的な独自の様式を確立し、「円山・四条派」の祖となりました。 彼は、描く対象がそこに実在するかのような空気を醸し出す、精密な写生技術と絶妙な表現の省略を駆使しました。 眼鏡絵の制作を通して培われた透視的遠近法や陰影法などの技術は、その後の応挙の作品に大きな影響を与え、平面的な絵画世界に奥行きのある立体的な世界を描き出す「空間の画家」としての評価につながりました。 「眼鏡絵画帖」は、若き日の応挙が、西洋の遠近法を学び、自身の画技を磨く上で重要な役割を果たしたことを示す貴重な作品であり、彼の革新的な画業の出発点の一つとして高く評価されています。