(伝)円山応挙
「円山応挙―革新者から巨匠へ」展にて展示されている、(伝)円山応挙作「眼鏡絵 三条大橋」は、江戸時代・18世紀に制作された一枚の作品であり、町田市立国際版画美術館に所蔵されています。
「眼鏡絵(めがねえ)」とは、西洋の遠近法を応用して描かれた風景画の一種です。これは、レンズをはめた「覗き眼鏡(のぞきめがね)」や「覗きからくり箱」を通して見ることで、絵に立体感や奥行きが強調されて見えるように工夫されたものです。
江戸時代中期、長崎を通じて日本に伝わった遠近法は、当初、浮世絵師の奥村政信らによって「浮絵(うきえ)」として取り入れられました。寛延3年(1750年)頃には、中国製の覗きからくり箱が日本に輸入され、それに伴い眼鏡絵も本格的に流通するようになります。
円山応挙は、10代後半から20代にかけて、京都の玩具商である尾張屋中島勘兵衛のもとで働いていました。この店ではオランダから輸入された望遠鏡や覗き眼鏡、そしてそれに付属する眼鏡絵が扱われており、応挙はこれらに触れる中で、自ら京都名所などの眼鏡絵を制作するようになります。この眼鏡絵との出会いは、農家出身の応挙が画才を開花させ、後の写実主義的な画風を確立する上で重要な転機となったとされています。
「眼鏡絵 三条大橋」は、応挙が京都の名所を描いた眼鏡絵の一つであり、当時の人々が最新の視覚体験を求めていた時代背景を反映した作品です。
眼鏡絵の最大の特徴は、西洋の線遠近法(一点透視図法)を駆使して奥行きを表現している点にあります。また、覗き眼鏡の構造上、45度傾けた鏡に映して見ることを前提としているため、絵や文字は左右反転して描かれているのが通例です。
本作「眼鏡絵 三条大橋」は、木版画で手彩色が施されたものと考えられています。応挙の眼鏡絵には、画面に小さな穴を開けて薄紙を貼り、裏から光を当てることで、さらに遠近感を深める工夫が凝らされたものもありました。本作品と同じく「京三条大橋」と題される応挙の木版眼鏡絵のサイズは、縦約20.7cm、横約27.3cmであり、その版木には尾張屋の焼印が押されていたことが確認されています。これは、応挙が若年期に尾張屋に奉公していた頃に制作されたものであることを示しています。応挙の眼鏡絵は、極めて緻密かつ細密に描写されており、その写生重視の姿勢がうかがえます。
「眼鏡絵 三条大橋」を含む応挙の眼鏡絵は、単なる見世物の絵にとどまらず、西洋の科学的視覚理論への関心と、それを日本画に取り入れようとする応挙の探求心の表れです。これらの作品を通して、応挙は伝統的な大和絵にはなかった遠近表現を学び、後の円山派の写実的な画風へと繋がる基礎を築きました。
この作品は、当時の京都の風景を記録すると同時に、異文化からの影響を柔軟に受け入れ、独自の表現を模索した江戸時代の絵画史における革新性を示しています。
円山応挙の眼鏡絵は、その精緻な描写と斬新な遠近表現によって、当時の人々に驚きと感動を与えました。特に、その透視図法による遠近表現は、後の浮世絵の風景版画、例えば歌川豊春や歌川広重といった絵師たちの作品にも大きな影響を与えたと考えられています。
若き日の応挙が眼鏡絵を手掛けた経験は、彼が「円山派」の祖として日本画壇に名を馳せる上での重要な礎となりました。彼の眼鏡絵は、西洋の光学技術と日本の絵画表現が融合した初期の例として、美術史的にも高く評価されています。町田市立国際版画美術館に所蔵され、今回の「円山応挙―革新者から巨匠へ」展で展示されることは、その芸術的・歴史的価値の高さを示すものです。