(伝)円山応挙
本稿では、現在開催中の展覧会「円山応挙―革新者から巨匠へ」において紹介される作品「眼鏡絵 円山座敷図」を深く掘り下げ、その背景、技法、意味、そして与えた影響について解説します。本作品は、江戸時代・18世紀に制作されたとされ、(伝)円山応挙によるものとして町田市立国際版画美術館が所蔵しています。
制作の背景と意図 「眼鏡絵」とは、江戸時代中期にヨーロッパから中国を経て日本に伝来した絵画の一種です。17世紀にヨーロッパで流行し、18世紀前半には中国を経由して日本に伝わりました。 若き日の円山応挙(1733-1795)は、10代後半に京都で狩野派の画家・石田幽汀に師事しました。20代の頃には、京都四条通柳馬場の玩具商「尾張屋中島勘兵衛」に勤めており、そこでオランダから輸入された眼鏡絵に触れて興味を抱いたとされています。この時期に応挙は、京都の風景を描いた眼鏡絵を数点制作しており、「眼鏡絵 円山座敷図」はその代表作の一つとして挙げられています。 これらの作品は、凸レンズを嵌めた「覗き眼鏡」という装置を通して見ることを前提としており、絵に西洋画の遠近法(透視図法)を応用することで、平面の絵に立体感や奥行きを表現することを目的としていました。応挙にとって眼鏡絵の制作は、西洋の遠近法や合理的な空間把握を学ぶ重要な機会となり、後の写生に基づく独自の画風確立に繋がる、決定的な経験であったと考えられています。 また、当時の大衆にとって新しい娯楽であり、玩具商の商品として制作された側面も持ちます。
用いられた技法と素材 「眼鏡絵 円山座敷図」をはじめとする眼鏡絵には、西洋由来の遠近法が用いられています。特に反射式の覗き眼鏡で見ることを想定した場合、絵は左右反転して描かれるのが特徴です。 これにより、鏡に映してレンズ越しに見ることで正しい像が立体的に立ち上がる仕組みとなっていました。 制作においては、極細の筆を用いた緻密な描写が特徴とされます。また、木版墨摺りに手彩色を施したもの や、肉筆画の作品も存在しています。さらに、画面の一部に小さな穴を開けて薄紙を貼り、裏から光を当てることで、遠近感を強調したり、あたかも火が灯ったように見せたりする工夫も凝らされていました。
作品が持つ意味 本作品が提示する眼鏡絵は、当時の日本人にとって画期的な視覚体験をもたらしました。レンズを通して平面の絵が立体的に見えるという体験は、まさに「驚き」であり、大衆的な娯楽として流行しました。 円山応挙にとって、眼鏡絵の制作は、伝統的な日本画にはなかった西洋の遠近法を習得する上で不可欠な修練の場でした。この経験を通じて培われた写実的な表現は、後に彼が確立する「円山派」の写生画の基礎となり、近代日本画に大きな影響を与えることになります。
評価と影響 若き日の応挙が眼鏡絵に携わったことは、彼の画才を開花させ、写実主義に基づく日本画の新境地を開く上で重要な役割を果たしました。彼が築き上げた「円山派」は、写生を重視した画風を特色とし、明治以降の近代日本画の源流の一つとして高い評価を受けています。 また、眼鏡絵が透視図法によって示した遠近表現は、浮世絵における風景版画、特に「浮絵」の発生と発展に多大な影響を与えました。 このように「眼鏡絵 円山座敷図」は、単なる娯楽作品に留まらず、円山応挙という革新的な絵師の成長を促し、さらには日本絵画史における遠近表現の導入と発展に寄与した、意味深い作品であると言えるでしょう。