(伝)谷文晁
本作品は、東京国立博物館所蔵の「近世名家肖像」と題された一巻で、江戸時代・19世紀に制作されました。伝谷文晁(たにぶんちょう)の筆と伝えられています。
この作品は、当時の老中であった松平定信(まつだいらさだのぶ)が、自身の座右に置くために谷文晁に命じて描かせたものと伝えられています。 その意図は、当時の著名な名士46人の肖像を集め、記録することにあったとされます。 谷文晁は、田安家に仕え、松平定信の近習となってその才能を認められた画家であり、定信との深い関係の中でこの肖像巻の制作に至りました。
本作品は絹本に描かれた肖像画巻で、縦27.2cm、全長981.7cmに及ぶものです。 その画稿の大半は谷文晁自身の手によるものとみられますが、顔貌の描写にはやや精彩を欠く部分も見られ、実際には文晁の指導のもと、その門人たちが制作に携わったと考えられています。 谷文晁は、狩野派、大和絵、琳派、円山派、四条派、さらには西洋画まで、あらゆる画法を学び、写生と古画の模写を基礎に、諸派を折衷した「八宗兼学」と呼ばれる独自の画風を確立しました。 その幅広い知識と技術は、このような多様な人物を描き分ける上で発揮されたと推測されます。また、彼は松平定信の命で全国の古文化財を調査し、詳細な模写と記録を行う『集古十種』の制作にも関わっており、その緻密な写生能力は高く評価されています。
「近世名家肖像」は、当時の文化人や知識人、武士など、社会を動かす重要な人物たちの顔貌を後世に伝える役割を果たしています。 権力者である松平定信が、その時代を代表する人物たちを記録しようとした意図が込められており、江戸時代の社会相や人物像を知る上で貴重な資料となっています。また、「伝谷文晁」と付されていることから、谷文晁という巨匠が多くの門人を抱え、工房として大規模な制作活動を行っていた実態も示唆しています。
本作品は東京国立博物館に所蔵されており、歴史的・美術史的に重要な作品として位置づけられています。 谷文晁は、江戸時代後期の民間画壇において酒井抱一や葛飾北斎らとともに中心的存在であり、南画・写生画・水墨画など様々な画法を取り入れ、独自の画風を確立した巨星と評されています。 多くの弟子を育成し、幕府の御用絵師である狩野派に対抗する形で、江戸最大の民間画派を築き上げました。 「近世名家肖像」は、谷文晁とその門人たちが残した多岐にわたる作品群の一部として、その時代における肖像画のあり方や、師弟による共同制作の様相を示すものとして評価されます。