この作品は、東京国立博物館で開催された特集展示「動物の仮面」に出品された「狂言面 猿(きょうげんめん さる)」です。室町時代から安土桃山時代、十六世紀に作られたもので、東京国立博物館が所蔵しています。特定の作者名は伝わっていません。
どのような背景・経緯・意図で作られたのか? この作品は、日本の伝統芸能において、動物をかたどった仮面がどのように使われてきたかを示すものの一つです。飛鳥時代に大陸から伝わった伎楽以来、舞楽、能、狂言といった仮面を用いる多様な芸能が日本で発展しました。 狂言は、もともと猿楽と呼ばれる時代の滑稽な物まね芸が発展したもので、江戸時代には幕府の式楽となる中で洗練され、格調高いものとなっていきました。 「狂言面 猿」は、そうした狂言の演目で使われる仮面として作られました。人々は動物を演じることを楽しみ、芸能に登場する動物に親しみを感じていたと考えられます。 動物の仮面は、自然界の存在を人間の身体に宿らせる手段であり、自然の霊性を通す器としての役割も担っていました。
どのような技法や素材が使われているのか? 狂言面「猿」は、動物の顔を写実的に表しているのが特徴です。 具体的な素材や技法の詳細については、この特定の作品に関する記述は見られませんでしたが、一般的に狂言面はヒノキなどの木材を彫刻して作られることが多いです。子方が用いる小猿の面の中には、漆かぶれを避けるためか、通常施される裏面の漆を塗らずに白木のまま仕上げられたものもあります。 このことから、木彫りが主な技法であり、彩色などが施されていたと推測されます。
どのような意味を持っているのか? この「狂言面 猿」は、狂言の演目「靱猿(うつぼざる)」、「猿座頭(さるざとう)」、「猿婿(さるむこ)」などで使われます。 特に「靱猿」は、小猿の毛皮を巡る猿回しと大名の対立が意外な展開でハッピーエンドに至る、めでたい祝言気分に満ちた名作として知られています。 狂言師の修行においては、「猿に始まり狐に終わる」という言葉があるように、「靱猿」の子猿役で初舞台を踏み、経験を積んで難曲「釣狐(つりぎつね)」の主役を演じきることで一人前と認められます。 したがって、「狂言面 猿」は、狂言師にとって大事な初心の出発点となる意味を持っています。 また、仮面をかぶることで演者は人間性を一時的に脱ぎ捨て、異なる存在に変身し、観客に「人間とは何か」を問い直させる契機ともなるとされています。
どのような評価や影響を与えたのか? 室町時代から安土桃山時代という十六世紀に作られたこの「狂言面 猿」は、その写実的な表現が現代でもわかりやすいと評価されています。 東京国立博物館のコレクションとして、日本の仮面文化の歴史と多様性を示す貴重な資料の一つであり、特別展示「動物の仮面」で主要な出品作品として紹介されたことからも、その文化財としての価値の高さがうかがえます。 この作品は、能や舞楽の仮面と共に展示されることで、芸能の垣根を超えて動物をテーマとした仮面が持つ魅力や、人々が動物に抱いていた眼差し、想像力、そして芸能文化の豊かさを現代に伝えています。 狂言芸能における「猿」という役柄とその仮面は、狂言の伝統と継承において非常に重要な役割を果たしており、現代の面打ち師にも模写されるなど、後世に大きな影響を与え続けています。