オーディオガイド トップに戻る
0:00
0:00

特別展「運慶 祈りの空間―興福寺北円堂」

この度は、東京国立博物館にて開催されます特別展「運慶 祈りの空間―興福寺北円堂」の紹介文作成のご依頼、誠にありがとうございます。世界遺産・興福寺の至宝が東京に集結する本展の魅力を、心を込めてお伝えいたします。


特別展「運慶 祈りの空間―興福寺北円堂」紹介文

1:展覧会の見どころについて

東京国立博物館 本館特別5室にて開催される特別展「運慶 祈りの空間―興福寺北円堂」は、奈良・興福寺が誇る国宝仏たちを一堂に集め、普段は決して立ち入ることのできない聖域、北円堂の荘厳な内陣空間を東京に再現するという、まさに「奇跡」と呼ぶべき企画です。本展の最大の見どころは、約60年ぶりに寺外で公開される国宝「弥勒如来坐像」の修理完成後の姿を間近で拝観できることにあります。この本尊を中心に、運慶晩年の傑作として名高い国宝「無著・世親菩薩立像」、そしてかつて北円堂に安置されていた可能性が高いとされる国宝「四天王立像」を合わせた計七躯の国宝仏が、本来の配置に近い形で展示されます。これにより、単に個々の仏像を鑑賞するに留まらず、運慶とその一門が鎌倉復興期に建立した祈りの空間そのものを、全身で体験することができるでしょう。

運慶は、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけて活躍した、日本彫刻史上最高の仏師の一人と称されます。彼の作品は、それまでの定朝様式に代表される穏やかで優美な表現とは一線を画し、武士の気風を反映したかのような力強く写実的な表現が特徴です。特に、玉眼(ぎょくがん)という水晶をはめ込む技法を確立し、仏像に生々しいまでの実在感と精神性を吹き込みました。 本展で展示される仏像群は、まさに運慶が晩年に到達した境地を示す最高傑作であり、彼の芸術の真髄を間近で感じられる貴重な機会となります。800年の時を超えて東京に再現される「祈りの空間」は、訪れる人々に深い感動と、歴史、そして信仰の奥深さを問いかけることでしょう。

2:展覧会の流れについて

本展は、興福寺北円堂の荘厳な内陣空間を東京国立博物館で再現するという、他に類を見ない試みです。来場者は、展示室へと足を踏み入れた瞬間から、まるで奈良の興福寺北円堂に直接訪れたかのような感覚に包まれることでしょう。展示は、大きく分けて興福寺と北円堂の歴史、そして北円堂に安置された国宝仏たちの章立てで構成され、それぞれが密接に関連し合い、鑑賞者の理解を深めるよう導きます。

第一章:興福寺と北円堂の歴史、そして鎌倉復興期の息吹

展覧会の冒頭では、まず興福寺がたどってきた波乱の歴史が紹介されます。興福寺は、710年の平城遷都の際に現在の地に誕生し、藤原氏の氏寺として千三百年の時を重ねてきました。しかし、度重なる災禍、特に治承四年(1180年)の平重衡による南都焼き討ちでは、伽藍のほとんどが焼失するという壊滅的な被害を受けます。この悲劇からの復興は、鎌倉時代という新たな時代に、運慶をはじめとする慶派仏師たちの手によって成し遂げられました。

北円堂は、藤原不比等の一周忌にあたる721年に元明上皇と元正天皇が長屋王に命じて創建された、興福寺伽藍の中でも最古の建物の一つで、法隆寺夢殿と同様の八角円堂です。 焼き討ちで失われた北円堂は、1210年頃に再建され、本展で紹介される国宝仏たちは、この復興時に運慶一門によって造立されました。 この章では、写真や資料を通じて、興福寺がいかにして文化財の宝庫となり、またその中核をなす北円堂がどのような歴史的背景のもとに再建され、運慶という天才仏師がいかにしてその復興を担ったのかが詳細に語られます。運慶は、父康慶が始めた新様式を完成させ、願成就院や浄楽寺の仏像、東大寺南大門の金剛力士像など、数々の傑作を生み出し、その名を歴史に刻みました。 彼の作品は、力強い肉体表現、深い衣文、そして水晶をはめ込んだ玉眼による生々しいまでの実在感が特徴であり、当時の武士の気風を反映していると評されます。 この導入部を通じて、鑑賞者はこれから対面する国宝仏たちが単なる美術品ではなく、激動の時代に人々の信仰と希望を託されて生まれた、生きた存在であるという深い理解を得ることができるでしょう。

第二章:本尊 弥勒如来坐像―穏やかな威厳と慈悲の輝き

この展覧会の中心に位置するのが、国宝「弥勒如来坐像」です。北円堂の本尊であり、運慶晩年の最高傑作と名高いこの像は、約60年ぶりに寺外で公開されることとなり、その修理完成後の姿は、多くの人々が待ち望んだことでしょう。

展示空間の中心に静かに鎮座する弥勒如来坐像は、まずその穏やかながらも圧倒的な存在感に目を奪われます。像高はおよそ1.4メートルに及び、寄木造りの技法で制作されました。 修理を経て、漆箔層の剥落止めなどが行われ、その尊顔や背面は美しく整えられています。 弥勒如来は、遠い未来にこの世に現れて人々を救済するとされる仏であり、その表情には深い思索と慈悲が満ち溢れています。瞑想に耽るかのような静かな眼差し、しかしそこには一切衆生を救済せんとする力強い意志が宿っています。 衣紋の表現はしなやかで美しく、体に沿って流れるような曲線が、如来の穏やかな姿を一層引き立てています。慶派の仏像によく見られる玉眼とは異なり、この弥勒如来坐像はあえて木の表面を刻んだ彫眼(ちょうがん)の技法が用いられていることが特徴です。 これは、平安時代の如来像への崇敬を示しつつも、運慶独自の解釈と技術をもって、仏の真実の姿を追求した結果と言えるでしょう。 修理によって一層輝きを増した漆箔の輝きは、祈りの空間に幽玄な光をもたらし、鑑賞者はその前で時間を忘れ、心の平安を得られるに違いありません。この像をじっくりと見つめることで、800年の時を超えて、運慶が弥勒如来に込めた深い祈りや慈悲の精神を肌で感じることができます。

第三章:脇侍 無著・世親菩薩立像―生々しいまでの写実と精神性

弥勒如来坐像の両脇に控えるのは、運慶晩年の最高傑作として名高い国宝「無著菩薩立像」と「世親菩薩立像」です。 この二躯の菩薩像は、弥勒如来の慈悲深い表情とは対照的に、見る者を圧倒するほどのリアリズムと精神性を備えています。

無著・世親は、5世紀頃に北インドで活躍し、法相宗の根幹となる唯識思想を確立した実在の兄弟僧侶をモデルとした像です。 まず、無著菩薩立像。老年の姿で右下を見つめるその表情は、深い思索と内なる智慧に満ちています。顔の皺、皮膚のたるみ、そしてわずかに開かれた唇から漏れ聞こえるかのような息遣いまでが、写実的に表現されています。 まるで今にも動き出しそうな、生々しいまでの人間味を感じさせる造形は、運慶が追求した「実在感」の極致と言えるでしょう。一方、世親菩薩立像は、壮年の姿で左遠方を見据えています。その眼差しは鋭く、未来を見通すかのような知的な輝きを放ちます。 無著と世親、それぞれの個性が見事に表現されており、兄弟の間に流れる深い絆と、唯識思想を極めた高僧としての威厳がひしひしと伝わってきます。

これらの像の大きな特徴は、水晶をはめ込んだ玉眼の技法が用いられていることです。 これにより、瞳はまるで生きているかのような輝きを放ち、見る角度によって表情が変化するかの錯覚に陥ります。衣のしわや指先の表現も極めて精巧で、しなやかな指先からは、彼らが仏道修行に捧げた長い年月と、学識への深い探求心が伝わってきます。 運慶は、単に写実的に人間の姿を再現するだけでなく、その内面に宿る精神性までも彫り出すことに成功しました。 これらの像は、彌勒如来の静謐な存在感とは異なる、力強い迫力で空間に緊張感をもたらし、鑑賞者を信仰の世界へと深く誘い込みます。

第四章:守護者 四天王立像―空間に漲る躍動と護法の気迫

展覧会の最後を飾るのは、かつて北円堂に安置されていた可能性が高いとされる国宝「四天王立像」です。 現在は興福寺中金堂に安置されていますが、本展ではこれらの四天王像が、弥勒三尊像と共に、鎌倉復興当時の北円堂の内陣を再現するべく配置されます。

四天王は、仏教において世界の四方を守護する護法善神であり、それぞれが異なる表情とポーズで空間に緊張感と安定感をもたらします。持国天、増長天、広目天、多聞天の各像は、力強い筋肉の張りや躍動的なポーズが迫力満点です。 賑やかな装飾や激しい表情が特徴的で、弥勒如来や無著・世親像とは異なる雰囲気を持ちながらも、天平彫刻を基調とした優れた造形美は、運慶一門の作とされています。 奈良時代の塑造像を意識しつつも、運慶独自の鎌倉様式を取り入れた造形は、力強い動きと写実的な表現が融合しています。 平安時代の四天王像に見られる長い裳裾が翻るスタイルとは異なり、潔い下半身の造形や爪先の表現、顔のパーツを中央に寄せた「への字口」などは、奈良時代の東大寺法華堂の金剛力士像を彷彿とさせます。 また、鳥眼(ちょうがん)を用いてはいますが、別材をはめ込んだような効果を木彫で表現しており、奈良時代の塑像の技法を意識した痕跡が見られます。 これは、運慶が奈良時代の北円堂の仏像を忠実に復興しようとした強い姿勢を物語っています。

彼らは邪鬼を踏みつけ、忿怒の表情で睨みつけ、空間を威圧するかのようです。特に、増長天の表情からは、本尊に邪鬼を近づけまいとする凄まじい気迫が伝わってきます。 鎌倉時代の武士が持つ力強さや決意、そして動的な美学が、これらの像には凝縮されています。それぞれの像の甲冑や武具の細部に至るまで、徹底した写実性が貫かれており、まるで今にも動き出し、邪悪なものを打ち払うかのような迫力に満ちています。この四天王像が加わることで、北円堂の空間は単なる静謐な祈りの場から、仏法を守護する力強い結界へと変貌し、鑑賞者をより一層、緊迫感あふれる信仰の世界へと引き込むことでしょう。

これらの七躯の国宝仏が一堂に会することで、鑑賞者は中心の弥勒如来の慈悲に包まれ、両脇の無著・世親菩薩の深い思索に触れ、そして四方の四天王の力強い護法に守られるという、北円堂本来の「祈りの空間」を五感で体験することができます。静と動、慈悲と威厳、そして過去と未来が、この空間で見事に調和し、見る者の心に深く訴えかけてくるはずです。

3:全体のまとめ、結びの文章

特別展「運慶 祈りの空間―興福寺北円堂」は、単なる仏像の展示会ではありません。それは、800年の時を超え、激動の鎌倉時代に燃え盛る炎の中から再建された興福寺北円堂の、失われた内陣空間を東京に呼び覚ます、まさに奇跡的な試みです。

本展の見どころは、約60年ぶりに寺外公開される修理完成後の国宝「弥勒如来坐像」の神々しい姿を拝せること、そして運慶晩年の最高傑作とされる「無著・世親菩薩立像」の生々しいまでの写実性と精神性、さらには空間の四方を守護する国宝「四天王立像」の力強い躍動感を、本来の配置に近い形で体感できることにあります。 これらの国宝仏七躯が織りなす空間は、静謐な慈悲と圧倒的な迫力が同居し、見る者の心を深く揺さぶります。

運慶が追求した「写実性」は、単なる表面的な再現ではなく、仏の魂や人間の内面に宿る精神性、そして当時の時代精神までもを彫り込んだ、まさに「実在感」に満ちたものです。 彼の手によって生み出された仏像たちは、激動の時代を生きる人々の苦悩と希望を受け止め、未来への祈りを込めた存在でした。本展で再現される北円堂の空間は、訪れる私たちに、信仰の持つ普遍的な力、そして芸術が時代を超えて語りかけるメッセージを改めて教えてくれるでしょう。

この展覧会は、美術史上の偉大な到達点である運慶芸術の真髄に触れるまたとない機会であり、日本の仏教美術の奥深さを再認識させてくれます。静かに、しかし力強く語りかけてくる国宝仏たちの姿は、私たち自身の「祈りの空間」を見つめ直し、現代社会を生きる上での精神的な豊かさとは何かを問いかける、忘れがたい体験となることでしょう。この秋、東京国立博物館で、運慶の「祈りの空間」を心ゆくまでご堪能ください。

展示会情報

会場
東京国立博物館 本館特別5室
開催期間
2025.09.09 — 2025.11.30