運慶
「世親菩薩立像」について、背景、経緯、意図、技法、素材、意味、評価、影響についてご説明します。
1.作品の背景・経緯・意図
世親菩薩立像は、鎌倉時代を代表する仏師・運慶が晩年に手がけた傑作の一つであり、興福寺北円堂に安置されている重要な仏像です。本像の制作は、建暦二年(西暦1212年)頃とされています。興福寺北円堂は、養老五年(721年)に藤原不比等の追善供養のために建立されましたが、治承四年(1180年)の平重衡による南都焼討によって焼失しました。現在の建物は承元四年(1210年)頃に再建されたもので、世親菩薩立像はこの復興事業の一環として造立されました。北円堂には本尊である弥勒如来坐像を中心に、無著・世親菩薩立像、そしてかつて安置されていたとされる四天王立像(現在は中金堂に安置されている四天王立像がこれにあたるという説があります)が配されており、運慶一門が総力を挙げて制作にあたったことがうかがえます。本像の意図は、唯識思想を確立した高僧である世親の姿を写実的に表現し、見る者に仏教の教えと精神的な深遠さを伝えることにありました。特に、焼失した寺院の復興という時代背景の中、信仰の再興と人々の精神的な支えとなる力強い仏像が求められたと考えられます。
2.技法や素材
世親菩薩立像は、像高191.6センチメートルの寄木造(よせぎづくり)で制作されています。寄木造とは、複数の木材を組み合わせて像を彫り出す技法で、大規模な像の制作を可能にし、また、像の乾燥による割れを防ぐ利点があります。本像は桂材(かつらざい)が用いられ、頭部と体部が前後二材をつなぎ合わせて作られています。仕上げには漆(うるし)と砥の粉(とのこ)を混ぜた下地が施され、その上から胡粉(ごふん)を塗って彩色されています。これにより色彩が鮮やかになります。瞳には玉眼(ぎょくがん)がはめ込まれており、これにより表情に生き生きとしたリアリティが与えられています。これらの技法は、鎌倉時代の彫刻の典型であり、運慶とその工房の高度な技術を示しています。運慶の指導のもと、世親像は運賀(うんが)が担当したとされています。
3.作品が持つ意味
世親菩薩立像は、兄の無著(むじゃく)菩薩立像と対をなす形で安置されています。世親は、5世紀頃に北インドで活躍し、兄の無著とともに法相宗の根幹となる唯識(ゆいしき)思想を確立した学僧です。唯識思想とは、「存在するものはただ心のみである」と説くもので、仏教思想に大きな影響を与えました。当初、世親は小乗仏教を修めていましたが、後に兄の無著に感化されて大乗仏教に転向し、唯識論の著述に尽力しました。 この像は、その思想家としての世親の姿を、壮年期の男性として力強く、そして決意に満ちた眼差しで表現しています。老齢の穏やかな表情の無著像に対し、世親像は眉根を寄せた鋭いまなざしで遠くを見つめ、未だ真理を追求し続けるひたむきさが感じられます。この兄弟像は、思想的な対比と呼応を表現しており、法相宗の祖師である二人の功績と精神性を象徴しています。
4.評価や影響
世親菩薩立像は、無著菩薩立像とともに、日本肖像彫刻の最高傑作の一つとして高く評価されています。運慶が確立した鎌倉彫刻の写実性と力強さが遺憾なく発揮されており、天平彫刻の写実性と弘仁彫刻のたくましい量感を併せ持つと評されています。玉眼の採用や、生身の人間のような肉感的な表現は、見る者に強い印象を与え、あたかも静寂な堂内に人がいるかのような迫力があります。 運慶晩年の円熟した境地を示す作品であり、静かな落ち着きの中に力強さと写実性を兼ね備えています。これらの像は、後世の仏像彫刻に大きな影響を与え、鎌倉リアリズムの到達点を示しました。また、興福寺北円堂の仏像群は、通常非公開であるため、その全容が一堂に会する特別展「運慶 祈りの空間―興福寺北円堂」は、約60年ぶりの寺外公開となるなど、仏教美術史におけるその重要性が改めて認識されています。