Pablo Picasso
ピカソの「1968年3月29日1」は、20世紀を代表する芸術家パブロ・ピカソが晩年に制作したエッチング作品です。この作品は、彼が90歳を超える高齢期に精力的に取り組んだ「347シリーズ」と呼ばれる膨大な版画連作の一部にあたります。国立西洋美術館に所蔵されており、山本英子氏から寄贈されました。
作品が作られた背景・経緯・意図
1960年代後半、ピカソは南フランスのムージャンに隠棲し、アトリエという閉ざされた世界に引きこもるようになります。この時期は彼の最晩年にあたり、自身の芸術創造の根源的な問題と向き合う、より内省的な制作活動に移行していきました。特に1968年から1971年にかけて、彼は膨大な量の絵画とエッチングを制作しました。
「347シリーズ」は1968年3月16日から10月5日までのわずか204日間で制作された347点の版画連作であり、ピカソが86歳という高齢でありながら驚異的な集中力と情熱をもって取り組んだものです。このシリーズの中心テーマは、生涯にわたる彼の命題であった女性に対する「愛」であり、同時に画家として生涯で取り上げてきた数々の題材を回顧する作品でもあります。
「1968年3月29日1」に見られるように、この時期のピカソは、スペインの伝統衣装をまとった画家やエル・グレコの絵画の登場人物を想起させるような人物像を多く描いています。これらの作品は、しばしば男女の性愛と深く関わり、画家自身が敬愛する過去の巨匠たちの作品から抜け出してきたような風貌で描かれることもありました。ピカソは晩年に「画家とモデル」の主題を数多く描き、制作に励む男性画家と裸でポーズを取る女性モデルの情景、あるいはモデルや画家の単身像などを表現しました。
どのような技法や素材が使われているのか
本作はエッチングとドライポイントという銅版画の技法で制作されています。 エッチングは、銅などの金属板に腐食防止剤を塗布し、ニードルでイメージを描き、その後、酸溶液に浸して描画した部分を腐食させることで線の窪みを作る技法です。窪みにインクを詰めて紙に転写することで版画が完成します。 ドライポイントは、ニードル(先端の尖った道具)で直接銅板を引っかくようにして描画する技法です。この技法では、彫った線の両側に「まくれ」と呼ばれる銅のめくれが生じ、これにインクがつくことで独特のにじみや柔らかな線が表現されます。エッチングに比べて温かみのある自由な線が特徴です。 ピカソは生涯にわたり、油絵、素描、彫刻、陶芸、舞台装置、タピストリーといった幅広い分野で活躍しましたが、版画やエッチングも多作であり、その総数は約10万点にも及ぶと言われています。彼は版画の新技法も開拓し、最期の妻ジャクリーヌを描いた作品などで駆使しています。
どのような意味を持っているのか
ピカソの晩年の作品群、特に「347シリーズ」は、彼の生涯におけるテーマの集大成であり、自己探求の表れとされています。性的テーマや、道化師、闘牛、過去の巨匠へのオマージュといったモチーフが頻繁に登場し、これらはピカソ自身の内面世界、生と死、愛と欲望、創造への飽くなき情熱を象徴しています。 「1968年3月29日1」に描かれた画家像は、ピカソ自身を重ね合わせたものとも解釈され、芸術家としての自己を見つめ直す姿勢が窺えます。また、作品に現れるユーモラスな誇張や単純化、デフォルメは、彼が独学で習得したカリカチュアの手法に由来するものとされています。
どのような評価や影響を与えたのか
ピカソは20世紀最大の芸術家の一人とされ、キュビスムの創始者として美術界に革命をもたらしました。その作品数は約15万点にものぼり、最も多作な美術家としてギネスブックにも登録されています。 晩年の作品は、発表当初は「全盛期を過ぎた老人の猥雑な思索に基づいた疑わしい作品」と過小評価されることもありました。しかし、1980年代に新表現主義が流行し始めると、ピカソがこのスタイルを先取りしていたことが理解され、再評価されるようになりました。彼の晩年の作品は、彼の創作意欲が未完成の作品群にも表れており、生涯にわたり芸術の可能性を追求し続けた革新的な作品は、後世の芸術家たちに多大な影響を与えました。 国立西洋美術館は、近年寄託作品によりピカソのコレクションを拡充しており、この「1968年3月29日1」もその重要な一部として展示され、彼の人物画の表現と主題、その革新性と多様性を示す機会となっています。現在もピカソの作品は高い価値と人気を持ち続けており、デジタル展示などでより広い層に受け入れられています。