Pablo Picasso
ピカソの版画作品「泉」について、詳細を説明いたします。
作品詳細 アーティスト名: パブロ・ピカソ 作品名: 泉 制作年: 一九二一年 (一九二九年刷り) 技法・素材: ドライポイント、ビュラン 所蔵: 国立西洋美術館
作品の背景、経緯、意図について
一九二一年という制作年は、パブロ・ピカソが「新古典主義の時代」と呼ばれた時期にあたります。この時期は、一九一七年から一九二五年頃まで続き、ピカソが以前探求していたキュビスムとは対照的に、古典的で写実的な人物像を多く描いたのが特徴です。
この古典回帰のきっかけの一つは、一九一七年のイタリア旅行でした。ロシア・バレエ団の舞台美術を担当するためにローマに滞在したピカソは、古代ローマやルネサンス美術に深く感銘を受けました。 また、一九一八年に結婚したバレリーナのオルガ・コクローヴァが、抽象的な絵よりも「きちんと綺麗に描かれた」自身の肖像画を望んだことも、写実的な作風への回帰を促したと言われています。
一九二一年には、ピカソ夫妻に長男パウロが誕生しており、この頃には「母と子」をテーマにした作品が数多く制作されました。これらの作品には、父親となったピカソの喜びが反映されていると見られています。 作品「泉」は、フォンテーヌブローという場所で制作されました。この地の名前が「美しい水の泉」を意味することから着想を得て、「泉」や「母子像」といった古典的な主題に取り組んだとされています。 特に「泉」は、ニューヨーク近代美術館が所蔵する大作「泉のほとりの三人の女」(一九二一年)の習作の一つと考えられています。 ピカソは、アテネのパルテノン神殿のフリーズのレプリカを所有していたことが知られており、「泉」に見られる女性像には、古代ギリシアの墓碑彫刻の影響も認められます。 この時代、ピカソはキュビスムと古典主義的な作品を同時に制作しており、その多様な表現力は驚くべきものです。
使われている技法と素材について
作品「泉」は、銅版画の一種である「ドライポイント」と「ビュラン」という技法を用いて制作されています。
ドライポイントは、針のような鋭い道具で直接銅板を引っかくようにして線を描く技法です。この時、線の両側にできる金属の「まくれ」(銅のめくれ上がり)にインクがたまることで、独特の柔らかく、滲んだような線が生まれます。 一方、ビュラン(エングレーヴィング)は、先端が菱形の彫刻刀「ビュラン」を使って、銅板に直接、深く鋭い線を彫り込んでいく技法です。ビュランは動かす方向が限られており、細かく正確な線を彫るためには熟練した技術が必要とされます。線の密度を変えることで、濃淡を表現することができます。 これらの技法は、どちらも凹版と呼ばれる銅版画の技法であり、彫られた溝にインクを詰めて紙に転写することで作品が作られます。
作品が持つ意味について
作品「泉」は、ピカソの新古典主義時代における古典古代への傾倒と、人間像への回帰を象徴しています。 「泉のほとりの三人の女」の習作であることから、古代ギリシアの神話や日常生活に見られた、女性たちが泉に集い、水を汲むという普遍的なモチーフを描いていると考えられます。このテーマは、生命の源としての水、そして女性の持つ豊かさや生命力を暗示しています。 また、古典的な力強さと量感を持った人物表現は、第一次世界大戦後のヨーロッパ美術界に広まった「秩序への回帰」という傾向にも通じています。ピカソは、人間存在の本質や普遍的な美を、古典的な造形を通して探求しようとしたと言えるでしょう。
与えた評価や影響について
ピカソの新古典主義時代の作品は、キュビスムで世界を驚かせた後に、写実的な描写力も兼ね備えていることを世に示し、彼の芸術家としての多様性と卓越した技術力を再認識させました。 この時期の作品は、その量感あふれる人物像や流麗な描線が高く評価されています。 「泉」を含むこの時期の作品群は、ピカソが生涯にわたり様々なスタイルを追求し、固定観念にとらわれずに常に変革を続けた証として、美術史においても重要な位置を占めています。 国立西洋美術館に所蔵されていることは、この作品がピカソの主要な作品の一つとして、また新古典主義時代を代表する版画として、日本においても高い評価を受けていることを示しています。 「ピカソ 青の時代を超えて」という展示会タイトルは、彼の芸術が青の時代にとどまらず、いかに多様な展開を見せたかを物語っており、この「泉」もその変遷を示す重要な作品として位置づけられます。