オーディオガイド トップに戻る
0:00
0:00

『バレエ・リュス公式プログラム』1920年12月

ピカソが「バレエ・リュス公式プログラム」を制作した背景には、セルゲイ・ディアギレフ率いるバレエ・リュスが、当時の最先端の芸術家たちと積極的にコラボレーションを展開していたという経緯があります。ピカソは、1917年にバレエ・リュスのためのバレエ「パラード」の舞台美術と衣装を初めて手がけ、これを機にバレエとの関わりを深めていきました。1918年にはバレエ・リュスのダンサー、オルガ・ホフロワと結婚しており、バレエ・リュスとの仕事は、ピカソにとって「青の時代」「ばら色の時代」「キュビズムの時代」を経て、新たな表現へと向かう重要な転換点となりました。彼はバレエ・リュスのために合計6作品のデザインを手がけ、その中には上演されなかったものも含まれますが、「三角帽子」(1919年)や「プルチネッラ」(1920年)など多くの作品で舞台美術や衣装を担当しました。特に、バレエ・リュスの公式プログラムの表紙デザインをピカソが手がけることは、彼の作品が広く知られる機会となり、またバレエ・リュスの革新性を象徴するものでした。

この作品「バレエ・リュス公式プログラム」(1920年12月)は、ピカソが手がけたバレエ「三角帽子」の衣装デザインを表紙に採用したものです。 プログラムの具体的な技法や素材については詳細な記述は見当たりませんが、当時の公式プログラムは、絵画的なデザインが印刷されることが一般的であったと考えられます。プログラムの表紙は、レオン・バクストやピカソなどによる美しい舞台衣装のデザインが採用されることが多く、当時の舞台の華やかさを伝えるものでした。 また、国立西洋美術館が所蔵するピカソの作品リストには、版画や素描も含まれており、これらのプログラムのデザインも、そうした媒体で制作されたものと推察されます。

ピカソがバレエ・リュスのプログラムに描いたイメージは、単なる挿絵にとどまらず、バレエ団が目指した総合芸術としての「バレエ」を視覚的に表現する意味を持っていました。バレエ・リュスは、20世紀初頭のキュビスムやダダイスム、シュルレアリスムといった新しい美術の潮流と深く関わり、ピカソをはじめとする前衛的な芸術家たちが集結することで、バレエを「低俗なエンターテイメント」から「あらゆる美が有機的に絡まる最先端の総合芸術」へと昇華させようとしていました。 ピカソのプログラムデザインは、彼の多様な表現様式、例えばキュビスム時代の特徴的な作風や、新古典主義的な人体表現などを反映している場合があり、それ自体が当時の美術の最前線を示すものでした。

バレエ・リュス、そしてそこにピカソが提供した作品は、現代のパフォーマンスアートだけでなく、絵画、音楽、ファッションなどあらゆる芸術運動に大きな影響を与えました。 ピカソがバレエ・リュスで手がけた舞台美術や衣装、プログラムデザインは、キュビスムのような革新的な表現を舞台芸術に取り入れ、視覚芸術と舞台芸術の融合を深化させました。これにより、観客は単にバレエを鑑賞するだけでなく、美術作品としても楽しむことができ、バレエの芸術的価値を高めることに貢献しました。 バレエ・リュスの活動はわずか20年ほどでしたが、その残した功績は計り知れず、世界三大バレエ団の一つとされるロイヤル・バレエ団の創設にも影響を与えるなど、後世のバレエ団や芸術家たちに多大な影響を与えました。 ピカソが「バレエ・リュス公式プログラム」に込めた芸術的挑戦は、20世紀の芸術史において重要な意味を持つものとして高く評価されています。