Pablo Picasso
パブロ・ピカソの作品「長椅子のレオニー嬢」についてご説明します。
この作品がどのような背景・経緯・意図で作られたのか、どのような技法や素材が使われているのか、どのような意味を持っているのか、そしてどのような評価や影響を与えたのかを詳しくお話しします。
まず、作品の背景と経緯、意図についてです。 「長椅子のレオニー嬢」は、一九一〇年に制作され、一九一一年に刊行されたマックス・ジャコブの詩集『聖マトレル』のためにピカソが制作した四点のエッチング(銅版画)の一つです。 マックス・ジャコブは、ピカソがパリでの青春時代に重要な交流を持ったユダヤ系の詩人で、この詩画集は画商であり出版者でもあったカーンワイラーの企画によって出版されました。
詩集『聖マトレル』の物語は、貧しいパリっ子マトレルとその恋人レオニーの人生の苦悩を描いています。マトレルは最終的に修道院へと導かれ、神の啓示を受けて死に至ります。 ピカソは、この移り気な恋人レオニー嬢に特に関心を抱いており、四点の挿絵のうち二点が彼女を描いています。 これらの挿絵は、詩の内容を説明的に補うものではなく、詩と共鳴しながらも版画として自立した作品として描かれました。
この作品が制作された一九一〇年は、ピカソとジョルジュ・ブラックによって「キュビスム(立体派)」という革新的な美術表現が探求されていた時期にあたります。 キュビスムは、一九〇七年にピカソが描き上げた『アビニヨンの娘たち』を出発点とし、ルネサンス以来の単一焦点による遠近法を放棄し、多様な角度から見た物の形を一つの画面に収めるという視覚的実験を推し進めました。 「長椅子のレオニー嬢」は、この「分析的キュビスム」と呼ばれる初期のキュビスムの特徴をよく示しています。
次に、どのような技法や素材が使われているのかについてです。 この作品は、エッチングとドライポイントという銅版画の技法を用いて制作されています。 一部の資料では、アクアティントやスクレーパーも併用されたと記されています。 使用されている紙は、オランダのファン・ヘルダー紙です。 エッチングは、ピカソにとって非常に重要な意味を持つ技法であり、ペンや筆とは異なる、銅版に刻まれる線によって作品を表現しています。 版のサイズは、おおよそ縦十九点七から十九点八センチメートル、横十四点一から十四点二センチメートルです。
続いて、どのような意味を持っているのかについてです。 「長椅子のレオニー嬢」は、キュビスムの理念に基づき、人物像を断片化された幾何学的な平面として捉え、複数の視点から見た姿を同時に一つの画面に再構成しています。 レオニーの顔は左右非対称に描かれ、片方の目がわずかに誇張されており、その表情はどこか虚ろに見えます。 この静けさの中には、見る者の想像力をかき立てる強い緊張感が宿っています。
この作品は、「切り子面」と呼ばれる、まるで切り子ガラスのように多くの面で構成される表現や、「片ぼかし」という、輪郭線に近い部分の色を濃くし、徐々に薄くしていく着色法によって特徴づけられています。 これは、セザンヌが用いた「パサージュ」という技法にも通じるものです。 分析的キュビスムの作品は、描かれる対象の形態を徹底的に分析し、解体し、再構成することで、物の量感や空間性を強調する一方で、写実的な描写や感情表現を排した無機質な造形性へと向かいました。 何が描かれているのか判別しにくいと感じるかもしれませんが、それは多視点と幾何学化を追求した結果であり、従来の絵画における美意識とは異なる新しい表現を模索したピカソの気迫を感じさせるものです。
最後に、どのような評価や影響を与えたのかについてです。 「長椅子のレオニー嬢」は、ヨーロッパ美術の前衛において、キュビスムの版画が登場した最も早い例の一つとして評価されています。 この版画は、一九一二年の第二回「青騎士(デア・ブラウエ・ライター)」展で、ドイツ表現主義の作品とともに展示されました。
ピカソがジョルジュ・ブラックと共に創始したキュビスムは、二十世紀最大の美術運動の一つとなり、絵画のみならず、彫刻、デザイン、建築、写真といった様々な分野に計り知れない影響を与えました。 キュビスムは、ルネサンス以来の単一焦点による遠近法という枠組みを打ち破り、芸術表現の幅と可能性を劇的に広げた点で、その意義は非常に大きいとされています。 「長椅子のレオニー嬢」のような分析的キュビスムの作品は、その徹底した幾何学化によって、ときに何が描かれているか不可解であると評されることもありましたが、それはピカソが新しい表現の地平を切り開こうとした証でもあります。
この作品は、東京国立近代美術館に所蔵されていますが、他にも愛知県美術館、ミシガン州立大学ブロード美術館、ソフィア王妃芸術センター、ハーバード大学美術館、ニューヨーク近代美術館、滋賀県立美術館、徳島県立近代美術館 など、国内外の主要な美術館にも同シリーズの作品が収蔵されており、その重要性が広く認識されています。