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砂浜で修理される船 / Ship Being Repaired on Beach

ヤン・ヨセフスゾーン・ファン・ホイエン / Jan Josefz. van Goyen

ヤン・ヨセフスゾーン・ファン・ホイエンの「砂浜で修理される船」は、十七世紀オランダの風景画の重要な発展を象徴する作品の一つです。この作品は、ストックホルムのスウェーデン国立美術館が所蔵する、ルネサンスからバロック期にかけての素描コレクション展で紹介されました。スウェーデン国立美術館の素描コレクションは、質、量ともに世界有数のものとして知られており、海外でまとまって公開されることは非常に貴重な機会です。素描作品は光や湿度に弱いため、その来日自体が特筆すべき出来事と言えるでしょう。

この作品が制作された背景には、十七世紀のオランダで風景画が独立したジャンルとして確立され、急速に発展していった時代精神があります。ヤン・ファン・ホイエンは、この時期のオランダ写実的風景画の主要な先駆者の一人であり、非常に多作な画家でした。彼は、マニエリスム様式のような想像力に頼った風景ではなく、現実の風景を写真のように写実的に描くことを追求しました。特に、故郷オランダの湿潤な低地の景観や、海、川といった水辺の情景を好んで描きました。彼は小さなボートを所有し、実際に海や湖に出て、風や太陽の光、水面の変化を熱心に観察していたと伝えられています。

「砂浜で修理される船」という作品名が示す通り、この絵は人々の日常的な営みが自然の中に溶け込んでいる情景を描いています。ファン・ホイエンの作品には、廃墟の寺院や荘厳な城塞のような記念碑的な建物はほとんど描かれず、起伏の少ない湿潤な低地で営まれるのどかな人々の生活が主な主題となっています。これは、当時のオランダの人々が自国の風景や生活に価値を見出し、それを芸術作品として鑑賞することを楽しんだことの表れと言えるでしょう。

使われている技法と素材は、作品詳細に記載されている通り、黒チョークと灰色の淡彩が紙に用いられています。ヤン・ファン・ホイエンは、生涯に千二百点を超える油彩画のほか、八百点以上とも言われる多くの素描を残しており、その多くで黒チョークによる速写的な素描の技法を用いています。彼は、円熟期である一六四〇年代には、都市景観、河川風景、海景などを数多く制作し、陰に浸された深い色調や、暖かみのある褐色、薄く溶かれた絵具の素早い扱い、そして陸地と空、水面の強い明暗対比が特徴的な作品を多く描きました。素描においても、これらの要素を表現するために黒チョークと淡彩を巧みに組み合わせていたと考えられます。特に、一六三〇年代から単色に近い色調を用いるようになり、一六四〇年代には灰色を基調とする「単色様式」と呼ばれる画風を確立しています。この作品も、その単色様式の特徴をよく示しているでしょう。

この作品が持つ意味としては、オランダ黄金時代の日常的な風景、特に海辺や水辺の生活を描写することで、当時の人々の生活様式や自然との関わりを垣間見せる点にあります。また、ファン・ホイエン独自の低い水平線と広い空という構図は、彼が生み出したスタイルであり、広がる大気と移ろう雲の形や色を捉えることで、大気そのものを表現しようと試みました。これにより、単なる風景の記録に留まらず、そこに漂う空気感や詩的な静けさ、そして時間の流れを感じさせる深みを持たせています。

ヤン・ファン・ホイエンは、オランダ風景画の形成に重大な役割を果たした画家と評価されています。彼の生み出したスタイル、特に低い視点から見た水平線と広い空という構図は、その後のオランダ風景画に大きな影響を与えました。美術史家のゴンブリッチは、ファン・ホイエンの絵画に見られる素朴さが、後のイギリス風景画のピクチャレスクの美学に受け継がれたと指摘しています。彼は、現存するだけでも千点以上の絵画と、それに匹敵する素描を残した多作な画家でありながら、様々な投資の失敗により、晩年は貧困に苦しんだとも言われています。しかし、その芸術的な評価は高く、オランダの写実的風景画の第一人者として、その後の世代の画家たちに多大な影響を与え続けています。彼の自由で直接的な様式と生き生きとした筆遣いは、オランダ絵画黄金期における自然主義的な視点と写実的表現の探求において重要な位置を占めているのです。