ドメニコ・ベッカフーミ / Domenico Beccafumi
ドメニコ・ベッカフーミの「福音書記者マタイ、司教、その他の人物像の習作」についてご説明します。
この作品は、ルネサンス後期からマニエリスム期にかけてイタリアのシエナで活躍した画家、ドメニコ・ベッカフーミ(1486-1551年)によって制作されました。ベッカフーミは、衰退しつつあったシエナ派の伝統と栄光を守り、再興しようと努めた、最後の重要なシエナ派の画家の一人として知られています。彼は、光の効果、色彩、表現方法に独自の工夫を凝らし、シエナ独自の国際ゴシック様式と、フィレンツェやローマで学んだ古典様式、そして北方の銅版画から得た影響を融合させた独自の画風を確立しました。
ベッカフーミは、シエナ近郊のモンタペルティの貧しい農家に生まれましたが、地主のロレンツォ・ベッカフーミが彼の絵画の才能を見出し、保護者となりました。このパトロンの恩恵により、彼は「ベッカフーミ」という名を使うことを許され、シエナの画家マルチェッロのもとで絵画を学びました。1509年には修行のためにローマへ赴きましたが、短期間でシエナに戻り、その後は生涯のほとんどをシエナで過ごしました。 この習作の意図は、おそらく彼が手掛けた大規模な宗教画、フレスコ画、あるいは祭壇画のための準備段階として、福音書記者マタイや司教、その他の人物のポーズや構成、細部を検討し、完成度を高めることにあったと考えられます。
この作品で用いられている技法は、「ペン、褐色インク、メタルポイントによるあたりづけ、着色された紙」です。まず、メタルポイント(銀筆)という、金属の尖筆で下地の整えられた紙に繊細な線で下描きが行われています。ルネサンス期には、このメタルポイントが正確で消しにくい線を描くための重要な素描材として広く使われました。 その後、褐色インクを使ったペンで、メタルポイントの線の上にさらに形を明確にし、陰影や質感を加えています。褐色インクは、当時の標準的な描画材料の一つでした。また、紙があらかじめ着色されているのは、ルネサンス期のデッサンでよく見られる手法で、中間色となる地の色を活かして、白い顔料でハイライトを、暗いインクで影を描き込むことで、より立体感や奥行きのある表現を可能にしました。
この「福音書記者マタイ、司教、その他の人物像の習作」は、それ自体が完成作品ではなく、ベッカフーミがより大きな宗教的主題の作品を制作する上での思考の過程や、構図を練るための道具としての意味を持っています。福音書記者や司教といったモチーフは、キリスト教美術において重要な役割を果たす人物であり、これらの習作を通じて、彼は人物の動き、表情、衣のひだといった要素を詳細に研究し、最終的な作品に生命を吹き込もうとしたのでしょう。この習作は、ベッカフーミの優れたデッサン力と、複雑な構成を構築する彼の制作プロセスを伝える貴重な資料です。
ベッカフーミの作品は、その独特な様式から高い評価を受けています。彼はシエナ派の最後の巨匠として、フィレンツェ派のバランスの取れた幾何学的な様式とは対照的に、「不合理で感情的に不安定な世界」を描写したと評されています。 彼の絵画は、複雑な構成、深い明暗表現、輝くような色彩、そして際立った幻想性といった特徴を持ち、一目見れば彼の作品だとわかるほど個性的でした。 S.J.フリードバーグは、ベッカフーミが描く「ぞくぞくするような奇矯な人物たち」を、フィレンツェ派のマニエリスム画家ロッソ・フィオレンティーノと比較して、より「光学的で流動的」だと評しました。 特定の習作が直接的な影響を与えたという記録は少ないですが、彼の多数の習作、特にシエナ大聖堂の床面を飾る壮大な作品を四半世紀かけて手掛けた事実は、ベッカフーミの徹底した準備と実験精神を示しています。 彼のデッサンは、その特徴的なマニエリスム様式を確立し、シエナ美術の独自性を保つ上で重要な役割を果たしました。