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彼女たちのアボリジナル・アート オーストラリア現代美術

アーティゾン美術館で開催されます「彼女たちのアボリジナル・アート オーストラリア現代美術」展は、オーストラリアの先住民女性アーティストたちに光を当てた、日本で初めての画期的なグループ展です。この展覧会は、単なる美術作品の紹介にとどまらず、アボリジナル・アートに脈々と受け継がれる豊かな伝統文化の息吹と、植民地化という複雑な歴史を経て現代社会において実践されてきた脱植民地化のプロセス、そしてそれが創造性とどのように交錯し、現代の先住民オーストラリア美術における多層的で多面的な表現を形作ってきたのかを深く探求するものです。

近年、国際的な現代美術の舞台では、地域独自の文脈に根ざした表現への再評価が進んでおり、オーストラリア先住民によるアボリジナル・アートもその中で改めて大きな注目を集めています。その国際的な評価の高さは、二〇二四年に開催された第六十回ヴェネチア・ビエンナーレ国際美術展において、アボリジナル作家の個展を展示したオーストラリア館が、国別参加部門で金獅子賞を受賞したことからも明らかです。

オーストラリアの現代美術を牽引する多くの女性作家たちが、アボリジナルの出自を持つという事実も特筆すべき点です。本展は、この現代アートシーンにおける重要な潮流を、日本に紹介する貴重な機会となります。アボリジナル・アートが隆盛を始めた一九七〇年代から八〇年代初頭にかけて、その制作の中心は主に男性作家でした。当時は、女性たちが手がけるバティックやバスケット、小さな彫刻などは「工芸品」や「実用品」として扱われ、西洋的な価値観に基づく美術史の枠組みからは周縁化されていました。しかし、アボリジナルの人々、そして女性という二重の周縁化された立場にありながらも、彼女たちは一九八〇年代以降、その状況に果敢に挑み、やがてアボリジナル・アート、ひいてはオーストラリア現代美術全体の方向性を決定づける存在となっていったのです。

本展は、世代や地域を超えた七名の個人作家と一つのアーティスト・コレクティブ、計八組による五十二点の作品を通じて、そうした女性アーティストたちの多様な創造活動を丁寧に追い、アボリジナル・アートの「いま」に迫ります。出品作家の中には、伝統的なコミュニティに深く根ざして活動するエミリー・カーマ・イングワリィ、マーディディンキンガーティー・ジュワンダ・サリー・ガボリ、ノンギルンガ・マラウィリ、そしてジャンピ・デザート・ウィーヴァーズといった方々がいます。同時に、現代のオーストラリアにおいてアボリジナルの人々の約八割が都市部に居住しているという現実を反映し、都市部を拠点に活動するマリィ・クラーク、ジュリー・ゴフ、イワニ・スケース、ジュディ・ワトソンといった作家たちの作品も紹介されます。これらの作品は、アボリジナルのルーツを持つ女性アーティストたちが、いかにして土地や記憶、歴史を見つめ、多岐にわたる素材と表現技法で現代社会に問いかけているのかを鮮やかに示しています。

この展覧会は、観るという行為そのものを静かに問い直す場でもあります。壁ではなく床に置かれた絵画や、キャンバスの裏側を見せるように吊るされた作品など、伝統的な美術館の展示方法を意識的に覆すことで、鑑賞者は作品との新たな対話を促されます。植民地化によって失われた声や記憶を掬い上げるアートの力、ガラス、映像、絵画、インスタレーションといった伝統と現代を繋ぐ多様な表現を通じて、オーストラリア先住民美術への深い理解と認知を目指す、またとない機会となるでしょう。

本展「彼女たちのアボリジナル・アート オーストラリア現代美術」は、アーティゾン美術館の五階と六階の二つのフロアにわたって展開され、それぞれの空間で、卓越した七名の個人作家と一つのアーティスト・コレクティブの作品、計五十二点が紹介されています。 展覧会は、各作家の個性に焦点を当てた構成となっており、それぞれの展示空間を巡ることで、多様な表現と深いメッセージに触れることができます。 私たちはまず五階の展示室から巡り、土地と記憶に根差した力強い表現と、現代社会におけるアイデンティティの探求を巡る旅に出発します。

五階展示室:土地と記憶、そしてアイデンティティの探求

五階の展示室では、主に三名の作家の作品が紹介されています。 ここでは、オーストラリアの先住民女性アーティストたちが、いかにして伝統と現代、個人的な記憶と集合的な歴史と向き合ってきたかを示す、示唆に富んだ作品群が私たちを待ち受けます。

ジュリー・ゴフ:歴史の痕跡を問い直すインスタレーション

まず私たちの目を引くのは、メルボルンに生まれ、タスマニアのアボリジナルを母方の祖先に持つジュリー・ゴフの作品群でしょう。 彼女は大人になるまで自身の先住民としてのルーツを詳しく知る機会がなかったといい、その個人的な探求が、作品を通して島の植民地化の歴史と、それが人々に与えた困難を記録する営みへと繋がっています。

特に印象的なのは、無数の木の槍が座面のない椅子を貫いた立体作品《一八四〇年以前に非アボリジナルと生活していたタスマニア出身のアボリジナル子どものたち》です。 この作品は、植民地化によって引き裂かれた家族やコミュニティ、そして文化的断絶という痛ましい歴史を象徴しています。座面のない椅子は、居場所を奪われた人々の姿を、そして槍は、先住民の土地と生活が暴力的に侵された事実を静かに、しかし強く訴えかけます。ゴフの作品は、観る者に歴史の重みと、それに対する深い省察を促すとともに、自身のアイデンティティと先祖の体験を探求する彼女自身の姿と重なり合います。 彼女の作品は、過去の出来事を単なる歴史的事実としてではなく、現在に生きる私たちに問いかける生きた記憶として提示するのです。

マリィ・クラーク:失われた文化の再生と現代への継承

次に続くのは、ヴィクトリア州にルーツを持つマルチディシプリナリー・アーティスト、マリィ・クラークの作品です。彼女の制作の中心には、植民地化によって破壊された伝統文化の再生と、それを現代に継承していく強い意志が貫かれています。特に、彼女の代表的な作品である《ポッサムスキン・クローク》は、その象徴と言えるでしょう。

かつてオーストラリア南東部の先住民文化において、ポッサムスキン・クロークは非常に重要な意味を持つ衣服であり、儀式的な実践の一部でした。それは個人の家族の歴史、共同体との繋がり、そしてカントリー(土地)との関係性を示すものであり、人が亡くなるとそのクロークに包まれて埋葬されるほどでした。しかし、現在では歴史的なクロークは世界にわずか六点しか残されていません。 クラークは、これらのクロークを現代の素材と伝統的な技法を組み合わせることで再現し、失われた文化の記憶を呼び覚まし、次世代へと繋ぐ試みを続けています。本展で展示されるクロークには、六十三枚ものポッサムの毛皮が用いられ、祖先の記憶を呼び覚ます彼女の深い思いが込められています。 また、彼女の作品には、リバー・ネックレスと呼ばれる装身具も含まれています。これらはかつて、土地を通過する人々への贈り物として用いられていたものであり、クラークはこれらの作品を通して、古来からのコミュニティ間の交流や、文化的な繋がりを現代に問い直しているのです。 オークルを使い、伝統的なデザインを皮に刻む代わりに、現代の化学処理された毛皮には熱工具で焦げ目をつけ、顔料を樹脂で定着させるなど、素材の変化に合わせた技法の適応も、彼女の創造性の証です。

イワニ・スケース:ガラスが語る痛みと祖先の魂

五階の展示の最後には、アボリジナル・アートの中でも一際異彩を放つイワニ・スケースの作品が、私たちを迎え入れます。彼女は吹きガラスを用いたインスタレーションで知られ、その作品は美しさの中に、植民地化によって引き裂かれた土地と人々、そして「盗まれた世代」の悲劇という、深い歴史的痛みを宿しています。

特に注目すべきは、ガラスで表現された土の塊が並ぶインスタレーション《えぐられた大地》です。 この作品は、故郷を破壊され、祖先から受け継がれた土地を奪われた先住民の経験を、透明で繊細、しかし同時に鋭利で強靭なガラスという素材を用いて表現しています。ガラスの塊は、あたかも大地から引き剥がされたかのような姿をしており、その脆さは、人間の尊厳がいかに容易く損なわれるかを示唆するとともに、内側に閉じ込められた光は、虐げられた魂の輝きや、抵抗の精神を象徴しているかのようです。スケースの作品は、視覚的な美しさと、心に訴えかけるメッセージの力強さで、観る者に強い衝撃を与え、記憶の中に深く刻み込まれることでしょう。

六階展示室:伝統の力強い息吹と新たな表現の地平

五階での深い歴史とアイデンティティの探求を経て、六階の展示室では、アボリジナルの伝統文化に深く根ざしながらも、それぞれの地域性や個性を強く打ち出した作品群、そして都市を拠点に活動する作家たちの、より現代的なアプローチが紹介されます。ここでは、伝統の継承と革新が織りなす、アボリジナル・アートの多様な表現の地平を体験できるでしょう。

エミリー・カーマ・イングワリィ:大地を描き続けた伝説の画家

六階の展示室でまず出会うのは、アボリジナル・アートの巨匠として世界的に知られるエミリー・カーマ・イングワリィの作品です。彼女は八十歳を過ぎてから本格的に絵画制作を開始し、短期間のうちに約二千点もの作品を生み出したという、驚異的なキャリアの持ち主です。 イングワリィの作品は、彼女が生まれ育った砂漠の土地「アハルクレー」の風景、植物、動物、そして儀式や祖先の痕跡といった、伝統的なテーマを抽象的なドットや線描で表現しています。彼女の絵画は、大地と一体化した視点から描かれ、そのエネルギーとリズムがキャンバス全体からほとばしるようです。

本展では、イングワリィがキャンバスを床に置いて制作していたという彼女自身の創作手法に敬意を表し、一部の作品があえて床置きで展示されています。 これにより、鑑賞者は作品を上から見下ろすという、彼女自身の視点に近い形で、大地と繋がるその精神性をより深く感じ取ることができるでしょう。彼女の作品は、まさにアボリジナル・アートが持つ、土地とのスピリチュアルな繋がり、そして豊かな生命の表現の象徴と言えます。

マーディディンキンガーティー・ジュワンダ・サリー・ガボリ:祖父の国を色彩で描く

次に紹介されるのは、カイアディルトと呼ばれる先住民コミュニティ出身のマーディディンキンガーティー・ジュワンダ・サリー・ガボリの作品です。彼女も八十歳を超えた二〇〇五年から絵画制作を開始し、その強烈な色彩感覚と自由な筆致で、独自の芸術世界を築き上げました。

ガボリの作品は、自身の祖父の国(カントリー)である故郷の風景や物語を、鮮やかな色彩と大胆な構成で描いています。たとえば、《私の祖父の国》や《ニンニュルキ》といった作品では、アボリジナルの伝統的な模様やシンボルが、彼女独自の現代的な解釈によって再構築され、力強くダイナミックな画面を形成しています。 彼女の絵画は、観る者をまるで広大なオーストラリアの原野へと誘い、そこに息づく生命の躍動や、祖先から受け継がれた知恵の深さを感じさせてくれます。遅咲きながらも、その才能は国際的に高く評価され、世界中の主要な美術館で個展が開催されるなど、現代アボリジナル・アートの新たな地平を切り開いた作家の一人です。

ノンギルンガ・マラウィリ:樹皮画に宿る儀式と精神性

さらに展示は、オーストラリア北部、東アーネムランドのヨルング族のアーティストであるノンギルンガ・マラウィリの作品へと続きます。彼女は、伝統的な樹皮画(バーク・ペインティング)の技法を継承しながらも、それを現代的な感覚で昇華させた作品で知られています。樹皮画は、樹木の樹皮を剥がし、乾燥させ、土から採取した顔料(オークル)を用いて描かれる、先住民の伝統的な絵画形式です。

マラウィリの作品は、祖先神話や儀式、そして共同体の生活に深く根ざした物語を、幾何学的なパターンや抽象的な表現で描いています。特に、二〇一六年の作品《ボルング》は、展示方法にも工夫が凝らされており、作品の裏側を見せるように吊るすことで、キャンバスが樹皮であることを直感的に伝えるように展示されています。 これは、作品の素材性や、それが持つ自然的・文化的背景への意識を促すと同時に、西洋的な「絵画」の概念を問い直すマラウィリ自身の視点を反映しているかのようです。彼女の作品は、太古の知恵と現代の視点が融合した、力強くも繊細な精神性を私たちに示してくれます。

ジャンピ・デザート・ウィーヴァーズ:集団で紡ぐ伝統と共生

六階の展示の終盤には、一つのアーティスト・コレクティブであるジャンピ・デザート・ウィーヴァーズの創造性豊かな活動が紹介されます。オーストラリアの砂漠地域に根ざしたこのコレクティブは、もともと地域の女性たちが文化的な手段を通じて収入源を確保するための活動として始まり、現在では四百名以上が参加する大規模な共同体へと発展しています。

彼らの活動は、地域の文化や伝統を集団で継承していくアボリジナルにとって、集団での活動がいかに重要な要素であるかを如実に示しています。砂漠に自生する草を主な素材とし、伝統的な編み物の技法を用いながら、現代的な感覚を取り入れた立体作品を制作しています。 本展では、そうした立体作品を用いて制作されたコマ撮りアニメーションが展示されています。このアニメーションは、地域の人々の身近な出来事や、動物たちにまつわる語りとともに、草で編まれた人や動物の人形たちが生き生きと動き出す様子を描いています。 この作品は、視覚的な楽しさだけでなく、共同体の物語性、土地との繋がり、そして世代を超えて受け継がれる知恵と技術の尊さを、温かくユーモラスなタッチで伝えてくれます。

ジュディ・ワトソン:見えない歴史を視覚化する

六階展示室の最後に位置するのは、ブリスベンを拠点に活動するワニングニング・ユウィニンギ(Waaningning Yuwiningi)族出身のジュディ・ワトソンの作品です。彼女の作品は、オーストラリアの植民地化の歴史の中で埋もれてきた、あるいは意図的に隠されてきた先住民の物語や記憶を掘り起こし、視覚化することを試みています。

ワトソンは、歴史的な公文書館の記録や、植民地時代の文書、あるいは個人的な証言といった、様々な資料を丹念に調査することから制作を始めます。彼女は、血の系譜やアボリジナルであることの「分類」といった、人種差別的な政策が先住民の人々に与えた影響を探求しています。特に、アボリジナルであることの血統によって投票権が与えられないといった歴史的な不公平を、彼女は作品を通して明らかにしようとしています。

その作品は、抽象的な絵画からインスタレーションまで多岐にわたり、しばしば「見えないもの」を「見える形」にする手法が用いられます。例えば、目に見えない痛みや、語られざる物語を、流れるような色彩や、地図を想起させるような線描で表現することで、鑑賞者は歴史の深層へと誘われます。彼女の作品は、過去と現在を結びつけ、観る者に歴史の再評価と、現代社会における責任について深く問いかけます。

これらの作品を通して、私たちは、アボリジナル女性アーティストたちが、いかに多様な形で、歴史、文化、そして未来に向き合っているかを目の当たりにするでしょう。それぞれの作家が持つユニークな視点と、それを表現する力強い手法は、オーストラリア現代美術の奥深さと、その新たな可能性を私たちに示してくれます。

「彼女たちのアボリジナル・アート オーストラリア現代美術」展は、オーストラリアの先住民女性アーティストたちの、計り知れない創造性と不屈の精神を浮き彫りにする、他に類を見ない展覧会です。この展覧会は、単に美しい作品を鑑賞する場であるだけでなく、歴史の重みと、未来への希望が交錯する、深い思索の旅へと私たちを誘います。

ここには、遠い祖先から受け継がれた豊かな文化の息吹が宿る作品もあれば、植民地化によって生じた痛みや不公平を力強く告発し、脱植民地化の道を切り開こうとする現代的な表現もあります。一九七〇年代から八〇年代にかけて、周縁化されてきたアボリジナルの女性アーティストたちが、いかにしてその立場を逆転させ、オーストラリア現代美術の新たな地平を切り開いてきたのか、その軌跡は私たちに大きな感動と共感をもたらします。

七名の個人作家と一つのアーティスト・コレクティブが生み出した五十二点の作品は、絵画、彫刻、ガラス、映像、インスタレーションなど、多岐にわたる表現形式で私たちに語りかけます。砂漠の広大な土地から生まれた魂の叫び、都市の喧騒の中で培われた歴史への深い洞察、そして共同体で紡がれる温かな物語。これらの作品一つ一つが、私たち自身の世界観や固定観念を揺さぶり、新たな視点と感性をもたらしてくれるでしょう。

本展は、観るという行為そのものに対する問いかけでもあります。作品が持つ強いメッセージと、それに込められたアーティストたちの思いは、私たちの心に深く響き、現代社会における文化的多様性、歴史認識、そして人間の尊厳について、改めて深く考える機会を与えてくれます。

「彼女たちのアボリジナル・アート オーストラリア現代美術」展は、オーストラリア先住民の女性アーティストたちの「いま」を伝える、まさに必見の展覧会です。この特別な機会に、アーティゾン美術館に足をお運びいただき、彼女たちの力強い声と、未来へと繋がる創造性の輝きを、心ゆくまでご体験ください。きっと、忘れがたい感動と、新たな発見に満ちた体験が、あなたを待っていることでしょう。

展示会情報

会場
アーティゾン美術館
開催期間
2025.06.24 — 2025.09.21