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無題(最後のシリーズ) (Untitled (Final Series))

エミリー・カーマ・イングワリィ (Emily Kam KNGWARRAY)

エミリー・カーマ・イングワリィの作品「無題(最後のシリーズ)」について、以下の詳細を説明します。

どのような背景・経緯・意図で作られたのか? エミリー・カーマ・イングワリィ(Emily Kame Kngwarreye, 1910年頃-1996年)は、オーストラリア中央部の砂漠地帯、ユートピアと呼ばれる地域にある故郷アルハルクラで生涯のほとんどを過ごしたアボリジニのアンマチャリー族の長老でした。彼女は生涯を通じて、自身の部族の文化や故郷の地、アルハルクラに深く結びついていました。アルハルクラは彼女の存在の核心であり、創造的な力と知識の源である「ドリーミング」の場所でした。彼女の芸術は、このアルハルクラの地形、気候の変動、乾燥した大地と恵みの雨、植物の種子や形、そして大地に宿る精神的な力への応答として生まれました。

彼女は70代後半から突如としてアーティストとしてのキャリアをスタートさせ、その後のわずか8年間で3,000点以上もの作品を制作した prolific な作家です。 「無題(最後のシリーズ)」は、1996年9月2日に亡くなるわずか2週間前の3日間で描かれた24点の小作品群の一つです。 このシリーズは、それまでの彼女の作品とは大きく異なる、ラディカルな表現の転換を示しています。 彼女は死の1ヶ月前、体調が急速に悪化する中で、大甥であり画廊ディレクターのフレッド・トーレスにキャンバスとアクリル絵具を持ってくるように依頼しました。 その際、持ってきた筆が幅広のジェッソブラシ一本であったため、彼女はその筆で制作に取り組みました。 これは、彼女の最晩年における創作への意欲と、新しい表現への探求の結果として生まれたものです。

どのような技法や素材が使われているのか? この作品は1996年に「合成ポリマー絵具・ベルギー製麻布 (Synthetic polymer paint on Belgian linen)」という素材で制作されました。 [作品詳細] イングワリィは1977年から約11年間、バティック染めの制作を行っており、その緻密な技術が後のキャンバス作品にも生かされています。 1988年頃からアクリル絵具とキャンバスを用いた絵画制作へと移行しました。 「無題(最後のシリーズ)」では、それまでの作品に多く見られた緻密な点描や線描が影を潜め、太く力強い筆致で色面が描かれています。 わずかな絵具の層で色面を構成し、その簡潔さの中に確かな表現を確立しています。 筆の動き一つ一つがはっきりと見て取れるような、豊かな絵具の層で描かれた作品も多く含まれます。 このシリーズでは、筆をほぼ水平に動かし、色を重ねていくことで、空間性と光の感覚が表現されています。

どのような意味を持っているのか? イングワリィの作品は、彼女の故郷であるアルハルクラの土地、そしてアンマチャリー族の文化に深く根ざしています。 彼女の作品には、ヤムイモ(鉛筆ヤム)、山トカゲ、草の種子、エミュー、アウェリェ(女性の儀式におけるボディペインティングのデザイン)など、故郷の動植物や「ドリーミング」の物語がモチーフとして描かれています。 彼女のミドルネームである「カメ(Kame)」は「黄色いヤムイモの花」を意味し、ヤムイモとの深いつながりを示しています。

「無題(最後のシリーズ)」は、イングワリィが亡くなる直前に制作されたものであり、これまでの作品とは異なる抽象的な表現が特徴です。 幅広の筆跡による力強い色面は、土地の精髄や、生涯にわたる彼女の経験と権威を集約していると解釈されています。 彼女は作品制作中、周囲の土地を指して「アルハルクラ」と語っていたとされ、この最後のシリーズもまた、故郷アルハルクラへの深い精神的なつながりを表現していると考えられます。 これらの作品は、描かれた線や色が単なる抽象表現ではなく、アボリジニの人々にとっての「カントリー」という、土地、空、水、そしてそこに存在する精神的なつながりを包括する概念を体現していると言えます。

どのような評価や影響を与えたのか? エミリー・カーマ・イングワリィは、オーストラリア現代美術において最も重要なアーティストの一人として高く評価されています。 彼女の作品は、その力強い創造性と独特のスタイルによって、現代のアボリジナル・アートの概念を再定義し、世界的な注目を集めました。 彼女の死後、1997年にはヴェネツィア・ビエンナーレでオーストラリア代表として作品が展示され、1998年にはクイーンズランド州立美術館を皮切りに大規模な回顧展が開催されました。 2008年には、大阪と東京、キャンベラを巡回する大規模な回顧展「ユートピア:エミリー・カーメ・ウングワレー展」が開催され、日本の美術界でも大きな成功を収めました。 この展覧会は、アンディ・ウォーホル展が保持していた10年間の入場者記録を更新するほどの大盛況でした。

「最後のシリーズ」は、彼女のキャリアの最も劇的な終焉を示すものであり、アンリ・マティスの晩年の作品と比較されることもあります。 これらの作品は、その簡潔な構図と色彩への深い洞察力が評価されており、鑑賞者に驚きと感動を与え続けています。 彼女の作品は、ジャクソン・ポロック、ワシリー・カンディンスキー、クロード・モネ、アンリ・マティスといった国際的な巨匠たちと比較されることもありますが、彼女自身はこれらの西洋の美術史とは無縁の環境で創作を続けていました。 彼女の作品は、西洋の抽象表現主義とは異なる、彼女の「ドリーミング」に由来する、より深い文化的・精神的な意味合いを持つものとして理解されるべきだと指摘されています。

彼女の芸術は、アボリジニ文化の豊かさと奥深さを世界に伝え、先住民族の芸術に対する理解を深める上で重要な役割を果たしています。 彼女の遺産は、現代のアボリジナル・アーティストたちにも大きな影響を与え続けています。