オーディオガイド トップに戻る
0:00
0:00

じょうろ (Watering Can)

エミリー・カーマ・イングワリィ (Emily Kam KNGWARRAY)

エミリー・カーマ・イングワリィによる作品「じょうろ」について、背景、経緯、意図、技法、素材、意味、評価、影響について説明します。

作品の背景と経緯

エミリー・カーマ・イングワリィは、一九一〇年頃にオーストラリア中央部の砂漠地帯、ユートピア地域にあるアルハルクラで生まれました。彼女はアンマティエール族の長老であり、女性の儀式や儀礼知識に関連する「アウェリェ」と呼ばれる儀式の管理者でもありました。生涯のほとんどを伝統的な方法で生活し、儀式用のボディペインティングや砂絵を描く活動に長年携わってきました。彼女が公に美術作品を発表し始めたのは、七十代後半という遅咲きでした。一九七〇年代後半にバティック(ろうけつ染め)の技術を学び、一九七七年にはユートピア女性バティックグループの設立に尽力し、多くの女性アーティストの芸術的発展を促しました。一九八八年から一九八九年にかけてキャンバスに絵を描き始め、その後わずか八年ほどの間に約三千点もの作品を制作したと言われています。これは、彼女がほぼ毎日一点のペースで作品を生み出していた計算になります。このように精力的な制作活動により、イングワリィは急速にオーストラリア現代美術界の主要な画家の一人として認識されるようになりました。一九九〇年頃に制作された「じょうろ」は、彼女がキャンバス画に移行して間もない時期の、実験的な作品の一つと考えられます。

作品の意図と意味

イングワリィの作品は、彼女の生まれ故郷であるアルハルクラの土地、季節の移り変わり、乾燥した土地、水の流れ、種や植物の形、そしてその土地に宿る精神的な力といった、土地との深い繋がりを表現しています。彼女の芸術は、アンマティエール族の文化において、地域の人々が世界やその中での自分たちの居場所を理解し解釈するための「ドリーミング」と呼ばれる文化的伝統を守る手段でもありました。

「じょうろ」という作品名と、それがファウンドオブジェクト(見つけられた既存の物)である金属製のじょうろに描かれているという事実は、特に注目に値します。彼女の作品の多くが故郷の植物、特に食料源であるヤムイモの植物(彼女のミドルネーム「カーマ」は「黄色いヤムイモの花」を意味します)を主要なモチーフとしていることを踏まえると、「じょうろ」は、乾燥した砂漠の環境において水がいかに貴重であるか、そして植物の成長と生命維持に水が不可欠であるかを象徴していると考えられます。水を撒くための道具であるじょうろに、植物の生命力を思わせるような点描や線描で絵付けをすることで、土地への愛情や、自然の恵みへの感謝、そして生命の循環といった深遠な意味が込められていると推測できます。アボリジナル・アートのシンボルは見る人によって解釈が異なりますが、その模様は自然との繋がりや、物語、儀式、場所、精霊などを象徴しています。

どのような技法や素材が使われているのか

この作品は、一九九〇年頃にアクリル絵具を使用し、金属製のじょうろというファウンドオブジェクトに描かれました。イングワリィは通常、キャンバスを地面に広げ、胡坐をかいた姿勢で長い筆を使って絵を描く独自のスタイルを持っていました。彼女は、力強く流れるような筆致で絵具を塗り重ねる「ダンプ・ダンプ」と呼ばれる手法や、緻密な点描、そして後年には大胆な線描を用いるなど、多様な技法を駆使しました。

「じょうろ」においては、金属製の立体物という特殊な支持体に対し、アクリル絵具を用いて点描や線描が施されていると考えられます。これは彼女がキャンバス以外の素材にも積極的に表現を広げていたことを示しています。彼女の点描は、故郷に咲く花々の色彩を分解して並べたものであり、植物の造形を抽象化していると指摘されています。また、作品に込められた神聖な意味や象徴を、部外者には直接見せないという意図が点描に含まれている可能性もあります。

どのような評価や影響を与えたのか

エミリー・カーマ・イングワリィは、その短いながらも輝かしいキャリアの中で、オーストラリアで最も重要なアーティストの一人としての確固たる評価を確立しました。彼女の作品は、その独自の表現力、個性、そしてエネルギーにより、生前から広く人気を集め、現代美術のヒロインとしての地位を確立しました。

「じょうろ」のようなファウンドオブジェクトを用いた作品は、彼女の多様な表現への探求を示すものであり、アボリジナル・アートが伝統的な様式だけでなく、現代的な素材や手法を取り入れながら進化していることを示唆しています。彼女の作品は、オーストラリアのアートシーンだけでなく、国際的な現代美術の舞台でも注目を集めており、二〇〇八年に日本で開催された回顧展「ユートピア:エミリー・カーマ・イングワリィの天才」は、アンディ・ウォーホル展の記録を塗り替えるほどの観客動員数を記録し、国際的な評価の高さを示しました。また、彼女の作品は東洋の書道と比較されることもありました。

イングワリィの功績は、グロリア・ペチャールやアビー・ロイ・ケマールといったユートピアの次世代女性アーティストたちの成功を可能にし、伝統文化を芸術的インスピレーションの源とすることの重要性を示しました。彼女の芸術は、先住民の深い文化的知識に基づき、植物、動物、地理的特徴を象徴するモチーフを重ねることで、文化の橋渡しをする役割を果たしています。

本作品が展示されている「彼女たちのアボリジナル・アート オーストラリア現代美術」展は、複数のアボリジナル女性作家に焦点を当てる日本で初めての機会であり、彼女たちの作品を通して、アボリジナル・アートに脈々と流れる伝統文化と、イギリスによる植民地時代を経てどのように脱植民地化を実践し、創造性と交差して多面的な現代のアボリジナル・アートを形成しているのかを考察する貴重な場となっています。