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記憶の深淵 (gulf of memory)

ジュディ・ワトソン (Judy WATSON)

ジュディ・ワトソン氏の作品「記憶の深淵」について、背景、技法、意味、評価や影響についてご説明します。

この作品は、オーストラリアの現代アーティスト、ジュディ・ワトソン氏によって、二〇二三年につくられました。天然藍、鉛筆、合成ポリマー絵具、麻布が用いられ、二一七・五×二二四・五センチメートル、二一三・五×一九七・〇センチメートル、二一二・五×一九九・〇センチメートルという三枚のパネルで構成されています。この作品は、アーティゾン美術館で開催された「彼女たちのアボリジナル・アート オーストラリア現代美術」展に出品されました。

作品が作られた背景・経緯・意図

ジュディ・ワトソン氏は、母方に先住民族アボリジナルの祖先を持ち、クイーンズランド州北部のワーンイのコミュニティをルーツとする、オーストラリアを代表する現代アーティストの一人です,。彼女は一九八〇年代初頭から精力的に作品を発表しており、一九九七年にはヴェネチア・ビエンナーレのオーストラリア館代表の一人に選ばれるなど、国際的に高い評価を得ています,,。

ワトソン氏の芸術活動の根底には、植民地主義の複雑な歴史と、それが先住民族コミュニティに与えた影響への探求があります。彼女は自身の母系の家族が暮らす土地(Country)から力強い物語や深い真実を引き出し、流動的で優美な作品へと昇華させています。特に、過去の出来事が土地に残した消えない痕跡を明らかにし、オーストラリアの隠された歴史をたどるとともに、自身の母系とのつながりを探求しています。

アボリジナルの歴史と文化、そして植民地化によって引き起こされた先住民に対する制度的差別を明らかにするため、地図や手紙、警察の報告書といった公文書や資料をしばしば作品に取り入れています。水、虐殺、そして「Country」とのつながりは、彼女が継続的に調査し、作品に反映させているテーマです。彼女は「青は記憶の色」と表現し、多くの作品にこの色を用いることで、過去を取り戻し、現在を理解しようと試みています。

「記憶の深淵」が出品された「彼女たちのアボリジナル・アート オーストラリア現代美術」展は、日本で初めて複数のアボリジナル女性作家に焦点を当てた画期的な企画です。この展覧会は、近年、国際的な現代美術の潮流の中で再評価が進むアボリジナル・アートの現状と、その中で女性アーティストたちが果たす役割に光を当てています。この展覧会は、「脱植民地化」という現代美術の動きに応答し、歴史や記憶の語り直しにおいて、語りの主体を侵略者ではなく被植民者として、男性ではなく女性として編み直すことを意図しています。作品を通して、彼女たちは生まれ育った大地や家族、受け継がれる記憶、コミュニティの物語や神話と向き合い、これまで沈黙させられてきた「声」に形と息吹を与えています。

使われている技法や素材

「記憶の深淵」では、天然藍、鉛筆、合成ポリマー絵具が麻布に用いられています。ワトソン氏は、大きく引き伸ばされていないキャンバスに、顔料とパステルを組み合わせるという、彼女の特徴的な技法を多用しています。

特に天然藍は、ワトソン氏にとって重要な素材です。彼女自身が「藍は空気に触れて緑から青に変わる色の変化の力強さに心を奪われた」と語っています。また、藍を「取引される素材」でありながら「変容させる力を持っている」ものとして捉えています。彼女は「青は記憶の色」と称し、多くの作品でこの色を効果的に使用しています。

作品が持つ意味

「記憶の深淵」というタイトルは、ワトソン氏の故郷近くのカーペンタリア湾で過去に起きた虐殺の記憶など、オーストラリアの深遠な歴史を暗に示している可能性があります。この作品は、土地や海の記憶をマッピングし、アボリジナル女性としてのアイデンティティにとって重要な記憶や歴史を語るという、彼女の作品全体に共通するテーマを体現しています。

作品は、植民地時代の出来事や、核実験、鉱山採掘によって姿を変えられた故郷の大地の歴史を現代に伝えています。過去を取り戻し、現在を理解しようとする試みであり、先人たちに敬意を払い、この国を守り、子孫のために健康的で持続可能な環境を維持することの必要性を訴えかけています。

インディゴに染められた三枚の麻布が織りなす「記憶の深淵」は、鑑賞者に言葉にならない熱、すなわち集合的な怒りと希望の精気を感じさせる作品です。また、ワトソン氏の「峡谷の水に小さな泡がポコポコと湧き出る様子を見ると、『君はどれほど古いのだろう?』と感じるのです」という言葉は、作品が内包する時間の深遠さ、そして大地に刻まれた記憶への深い問いかけを示唆しています。

与えた評価や影響

ジュディ・ワトソン氏は、オーストラリア国内外の主要な美術館に作品が収蔵されており、世界的に高く評価されているアーティストです,。一九九七年のヴェネチア・ビエンナーレでオーストラリア館代表の一人として選ばれたことで、その国際的な知名度を確固たるものにしました,。二〇二四年にはクイーンズランド州立美術館・近代美術館で大規模な回顧展が開催されるなど、その活動は注目を集め続けています,。

また、彼女はグリフィス大学の非常勤教授を務め、二〇一八年にはクイーンズランド大学から美術史の名誉博士号を授与されています。

「記憶の深淵」が展示された「彼女たちのアボリジナル・アート オーストラリア現代美術」展では、多くの鑑賞者や評論家から「心に深く残った作品」として評価されています。ワトソン氏の作品は、植民地主義の歴史、消費、廃棄物、環境問題といったテーマを描きながら、彼女独自の造形言語によって強く鑑賞者に訴えかけます。

彼女の作品、そしてこの展覧会は、「脱植民地化」という現代美術の国際的な潮流の中で、オーストラリア先住民によるアボリジナル・アートが再評価される動きに大きく貢献しています。さらに、アボリジナル女性アーティストの「声」に応答し、歴史や記憶の語り直しを促すことで、社会全体に大きな影響を与えています。